社表

人生のなかで一度くらいは不倫やホストクラブ通いでひとときの刺激を味わってみるのは悪くないかもしれませんが、「ふつうつうじないがホンモノ」と思ってしまう前に、「私はこの恋にハマって自分を見失ってない?」と問いかけてみて下さい。 トップ写真

「ホストクラブ通い」という病

本表紙 香山リカ 著

ピンクバラ「ホストクラブ通い」という病

一時期ほどの勢いはないようですが、ホストクラブの人気は相変わらずのようです。ホストクラブに行ったことのない人は、「相手は商売でチヤホヤしてくれるだけなのに、どうしてそんなものにハマるの? バカみたいと思うでしょう。

第二章でも触れたように、女性の場合、いくら“追っかけ”でも心のどこかではそれが本当の恋愛になる可能性を否定していない。
 男性の中には「じゃ、ひとときの楽しみを」と割り切ってクラブやキャバレーに出かけ、時間限定、空間限定の“疑似恋愛”をエンジョイする人もいるようですが、女性がホストクラブに出かけるときは、そこまで割り切れてはいないと思います。

 ホストたちの基本テクニックは、「孤立させること」だと聞いたこともあります。最初、女性たちは二人、三人などグループでやってくることがほとんどですが、「グループでホストの面白いトークを楽しむ」といった遊びをやっているうちには、“良い客(ほすとにとっての)”にはならない。

 なるべく早くホストと客の一対一の関係を作れるよう、例えば一人がトイレに立ったスキに「今度はキミひとりと話したいな」などと囁く。そして、次回、彼女がひとりで来店したときには、「こんなことを言いたくないんだけど、このあいだの友だち、キミがトイレに行った間にキミの悪口を言っていたよ」などと“仲間割れ”させるようなことを吹き込んだりするそうです。

 そうやって、「私の味方はあなただけ」とおもわせることができれば、あとはいくらでもお金を自分だけにつぎ込んでくれる、と豪語しているホストもいるとか。

 このエピソードからも、女性は決して「みんなでパーッと盛り上がりたいから」とホストクラブに行くのではなく、あくまで「だれかひとり特別な関係を築きたいから」という理由でそこに出かけていることがわかると思います。

 しかし、ホストクラブはお金のかかるところです。普通の仕事をしている女性性が毎日、通えるはずはない。もちろん男性が行くクラブやキャバレー、風俗店なども高いお金がかかりますが、考えなしに通っていて借金がかさむことはあっても、自分の意志で自らの人生を変えてまでそこにお金をつぎ込もう、とする人はそれほど多くないのではないでしょうか。

 ホストクラブ通い続けてお金が無くなった未成年の女性に風俗業を斡旋したホストが逮捕、といった記事がときどき新聞に載っています。

ホストクラブ行きたさに風俗へ? と驚く人もいるでしょうが、そういう話は実際にしばしば耳にします。
 OLなどふつうの仕事をしていた女性が「もうお金がないから通えない」と言うと、ホストは「僕だって早くこの仕事から足を洗って、堂々とキミと外で会いたけれど、今は事情があって・・・・。それまではここでしか会えないんだ」と“自分の辛さ”を訴える。

 すると、「わかったわ。それまでに私にも協力させて」と自ら水商売や風俗に転じる女性も少なくない、と聞いたことがあります。
そのホストに“愛情”を感じているなら、ほかの男性に身体を触られることなんて耐えられないと思うかもしれませんが、「この人の夢に私も協力している、いっしょに夢を叶えようとしているんだ」といったん思った女性は、ホストへの純愛にも似た感情と、“仕事”での性的な行為とを完全に切り離して考えることができるようになります。

 それどころか、それがつらい仕事であればあるほど、「私は彼に貢献できている」という喜びを強く実感できるのです。

 ここまで来ると、彼女たちが求めているのは“お目当てのホストに気に入られること”をはるかに超えて、友だちや家族、仕事を捨ててあえてつらい道に入り、「これでいいんだ」と自分に納得するという“生きている実感”そのものだともいえると思います。
 私はたまたま、ホストを愛して風俗業に身を転じた何人かの女性たちに会う機会あったのですが、彼女たちは、厳しい戒律(かいりつ)を自ら課して茨(いばら)の道をあるく修道女――この言い方は信仰を持つ人にとっては不謹慎に感じられるかもしれず、また彼女たちもそう呼ばれるのを嫌うかもしれませんが――のようにさえ見えました。

 ただ、その時に感じている「これでいいんだ」という自己否定や生きている実感は強烈でも、そこには必ず“終わり”があります。
 つまり、いつか彼女たちは「これって本当の愛?」と疑問を持ち始め、「これは商売だったのでは」と気づかなければなりません。
 その時に残るのは、すべてを失っていて取り返しのつかない自分だけです。

 万が一、そのホストが商売抜きで自分を好きになってくれ、店の外で会ったり同棲してくれたりしたとしても、いったん疑いを持ち始めると、「これは商売なのではないか」という問いがいつまでも頭から消えない、という話も女性たちから聞きました。
 “商売”のことをその世界の人たちは隠語(いんご)で“イロ”と呼んでいますが、ある人は「同棲どころか、結婚してくれても安心はできません。“イロ結婚”というのもあると思うんです」と言っていました。

 たとえそのホストの気持ちを本当に自分に向かせることができたとしても、「私はたとえ世界中から反対されても、この人のために生きる」と修道女のように決意した日がウソのように、今度は疑いに取りつかれたまま暮らさなければならないとしたら…。

 いずれにしても、ホストクラブで「ひとときの遊び」以上のものを求めよう、としてしまった先には幸福は待っていない、としか言いようがありません。

 ここまで話してきたように、最初から不幸になることを目指して恋愛を始める人はいないのに、恋をしているうちに自分に歯止めが利かなくなり、はっと気づいたときには不倫の泥沼や暴力男にハマっていたり、ホストに身も心も捧げてしまったり、という“病的な恋愛”――

 その恋愛が病気や異常という意味ではなく、恋愛によって健全な生活が送れなくなってしまう、という意味――に陥る人はいっこうに減りません。
 これは、「ひとりの他者と真剣に向き合い、自分の内面をさらけ出す」という恋愛の特殊性がもたらす“作用”のひとつだと言えます。

ピンクバラ“病的な恋愛”にまで進んでしまう人

一般的にほかの場面でもそうやって自分をだれかにぶつけた経験がなかったり、「さらけ出したら嫌われる」と遠慮して表面的な付き合いしかしていなかったことが多いようです。
 そこで恋愛を通して相手を否応(いやおう)なく文字通り“深い関係”になったとき、「私ははじめて本当の自分に出会った!」「私ははじめて本当の意味で人に出会った!」という新鮮な感動を覚える。

 そして、暴力男やホスト、障害の多い不倫などのほうがドラマチックにも見えるため、初期の感動がより大きく、「この愛こそがホンモノだ」というカン違いも起きてしまいがちなのです。
 しかしもちろん、見た目がドラマチックであることと、その愛が感動的であったりホンモノであったりすることは、まったく別です。

 人生のなかで一度くらいは不倫やホストクラブ通いでひとときの刺激を味わってみるのは悪くないかもしれませんが、「ふつうつうじないがホンモノ」と思ってしまう前に、「私はこの恋にハマって自分を見失ってない?」と問いかけてみて下さい。
 それでも、「“病的な恋愛”であろうとなかろうと、この愛は私にとって本当のホンモノだからいいの!」と思うなら‥‥・私もそれ以上、とやかく言うつもりはないのですが。
 つづく 第五章 結婚できれば、それで「勝ち」?

煌きを失った性生活は性の不一致となりセックスレスになる人も多い、新たな刺激・心地よさ付与し、特許取得ソフトノーブルは避妊法としても優れ。タブー視されがちな性生活、性の不一致の悩みを改善しセックスレス夫婦になるのを防いでくれます。

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